朝――
ゆっくりと目を開けると、少しずつ頭がはっきりしてくる。
涼太 「…………」
うーん、まだ眠い……。
7時前か……ちょっと早いけど、夏休み初日から二度寝してると、怒られるかもなあ。
部屋を出て、あくびをしつつ廊下を進む。
朝飯の前に顔を洗っておかないと、叱られるからなあ。
涼太 「ふー…………」
と、洗面所のドアを開けたところで。
渚沙 「え…………」
涼太 「…………」
渚沙 「リョータ…………?」
涼太 「あれ、[渚沙/なぎさ]……?」
おかしいな、なんで渚沙がこんな時間にこんなところに?
渚沙 「って、ちょっとおおおおおおおぉっ!」
涼太 「おお」
渚沙 「おお、じゃないわ! なにしてんの!?」
涼太 「……なにって顔を洗おうかと思って」
渚沙 「いつもはこんな時間に起きてな――って、いつまで見てるの!?」
涼太 「……あー」
衝撃的な光景なんだけど、驚きすぎてるからか、思考がストップしてる。
渚沙の髪は濡れていて、タオルで胸を隠してるけど、隠しきれてない。
幸いというか残念というか、パンツははいてる……。
渚沙 「ちょっと、なにをあらためてじっくり見てるの!」
渚沙 「いいから出てっ――」
と、渚沙が言いかけたそのとき、俺は人差し指を軽く振っていた。
渚沙 「出てって……って、言って、あははははは」
涼太 「あははは」
と、渚沙の笑顔につられて、こっちも笑ってしまったり。
って、しまった。とっさに“こころえのぐ”を使ってしまった……。
渚沙 「もう、なにを考えてるのよ、リョータ。こんなときに能力を使うなんて反則じゃないの」
涼太 「マジで悪かった。謝罪は後ほどさせてくれ。……ただ」
涼太 「今はひとまず、逃げさせてくださいっ!!」
そう言ってから、くるりと身体を一回転。
背中に渚沙の笑い声を浴びながら走り出す。
ああ、ヤバかった……。
まだ心臓がドキドキしてる。
いつもより微妙な早起きだったけど――これは三文の得どころじゃないな。
最終的に得したと思えるかは、まだわからないけど……。
涼太 「そう言えば、とっさに使っちゃったけど……。能力、渚沙に効いたな……」
いや、むしろそれが正常……というか、いつも通りだ。
ただ、“こころえのぐ”がいつも通りなのだとしたら、昨日の異常は……いったい、なんだったんだろうか?
渚沙 「反省を要求する!」
涼太 「……だから、悪かったって」
できる限り真面目に言って、大げさなくらいに頭を下げる。
さっさとその場を去らなかったのと、断りなく“こころえのぐ”を使ったのは、確かに俺が悪い。
渚沙 「[頭/ず]が高いわ!」
涼太 「何者なんだ、おまえは……」
涼太 「これ以上、頭下がらないっての。まさか、土下座しろってことか……?」
まあ、悪いのは明らかに俺なわけで、渚沙の気がそれで済むなら、しないこともないけど……。
渚沙 「いえ、土下座はいいわ……さすがに、引くから……」
涼太 「急にトーンダウンするなよ……いや、まあ、俺もさすがに幼なじみに土下座はしたくないが」
渚沙 「でも、反省して! しばらく無条件であたしをチヤホヤして! 全力で甘やかしなさい!」
涼太 「………………」
いつもならそろそろツッコミを入れるところなんだろうけど、今回ばかりは分が悪いというか、拒否権がない。
涼太 「ではお嬢様。お紅茶をお淹れいたしましょうか?」
渚沙 「キャラつくるのは禁止! あくまで素のままで! 素の十河涼太のままで、あたしを甘やかし続けなさい!」
渚沙 「[永遠/とわ]に!」
涼太 「永遠に!?」
反射的に突っ込んでしまった。
半裸を見た代償にしちゃ、ずいぶん高くついたな!
渚沙 「……はー。まったく、信じられないわ。これだけ長く一つ屋根の下で、あんなラッキースケベは一度も起きなかったのに……」
涼太 「謎の用語を使うなよ……」
まあ、その……ラッキーでは、あったけど。
あと確かに、もう何年も同じ家で暮らしているのに、さっきみたいな事故は初めてだったな。
渚沙 「くうっ、あたしにも油断があったのかしら」
渚沙 「いえ、あたしは悪くない。リョータをきっちりしつけて、朝は迂闊に脱衣場に入らないように徹底させないと……」
涼太 「だから何者なんだ、おまえは」
俺の飼い主なのか?
いや、もちろん飼い主じゃなくて――いわゆる幼なじみだ。
この情緒不安定な女の子は、[東/あずま]渚沙。
物心ついた頃から見知った仲だ。
ただ、世間一般で言うところの普通の幼なじみ同士、とも少し違うかもしれない。
朝の洗面所で鉢合わせたりすることがあるように、俺たちは同じ家で生活しているわけで。
ちなみに俺と渚沙は親戚同士でもなく、もちろん苗字は違うけど実は兄妹……なんてこともない。
渚沙 「なによ、人の顔をじろじろ見て」
涼太 「うん、まあこういうこともあるかと思っただけだ」
渚沙 「……ちょっと待って。これからしょっちゅうやらかす気じゃないでしょうね」
涼太 「おっと、そろそろ朝飯の時間だな。いい匂いがしてきた」
渚沙 「ごまかすなーっ!」
朝から元気すぎる渚沙に、適当な笑顔を向けておく。
とは言え、渚沙に覗きを仕掛けるつもりなんて少しもない。
いくら、家族同然に育ってきたとはいえ……いや、家族同然に育ってきたからこそ、やっていいことと悪いことがある。
こっちは幼い頃に両親が事故死――
渚沙は母子家庭で母親がめったに家に帰ってこられない――
事情は違っても、俺にも渚沙にもこの家にいる理由がある。
いくら渚沙が、見慣れた俺でさえも不意にドキッとすることがあるような可愛い女の子だったとしても……。
つまらないことで、居心地を悪くすることもないだろう?
(to be continued…)