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ポケット・ストーリー

『約束の夏、まほろばの夢』 渚沙ルート 3-1

第三話『どきどきアプローチ』 (1)




    午前中の、もう少しでお昼なろうかという時間帯――

    そんな時間に、なぜか家中に甘い匂いが立ちこめていた。


涼太  「なんだ、この匂い」


    歩さんがなにか作ってるんだろうか? でも、この甘い匂いは昼食じゃないよな?


陽鞠  「あ、お兄さん。なぎ姉がお菓子を焼いてるみたいですよ、じゅるるっ」


    陽鞠が、ヨダレをすすりながら教えてくれた。それぐらい、甘くていい香りなのだ。

    俺の気配に気づいたらしい渚沙が、台所から顔を覗かせた。


渚沙  「あ、リョータ。ふふふ、匂いに釣られてやってきたわね」


涼太  「そういうわけじゃないけど……。渚沙がお菓子作ってるところ見るの、久しぶりだな」


渚沙  「うん。もう少しでできるから、ちょっと待ってて」


    そう言って、また台所に引っ込む。ずいぶん張り切ってるみたいだ。


涼太  「最近ご無沙汰だったから、ちょっと楽しみだな」


    この家では台所を使えるのは基本的には歩さんだけなんだけど、渚沙がお菓子を作ることだけは例外的に認められている。

    つまり、渚沙のお菓子作りの腕前は、歩さんのお墨付きというわけだ。


りんか 「くんか、くんか……」


    そのとき、鼻をピクピクさせながら、りんかがやって来た。




りんか 「匂う、匂うぞ……スイーツの匂いが……。くんかくんか」


星里奈 「本当に匂いに釣られてやってきたのか? まるで犬だな」


    そう言いながら、星里奈もやって来た。みんなが甘い匂いが気になるのだろう。


渚沙  「というか、もうすぐできるけど、チーズケーキは冷まさないとダメだから、すぐには食べられないわよ?」


りんか 「え!? でも焼き上がりみたい!!」


渚沙  「りんか? う、うん……まあ、そう言うなら持って行くけど」


渚沙  「はーい、お待たせ~♪ ……って、みんな集合してる!?」


    焼きたてのチーズケーキの乗ったプレートを持って、渚沙が台所から入ってきた。

    いい色に焼けたチーズケーキは、キラキラと宝石のように光り輝いているように見えた。


りんか 「わおっ、ビューティホー! それ、なぎが作ったの!?」


渚沙  「そうよ。ちょっと久しぶりだったんだけど、上手くできたわ」


陽鞠  「なぎ姉はお菓子作りが得意なんです」


りんか 「そうなの!? 凄っ! 今まで黙ってたなんて水くさい!」


渚沙  「水くさいって……わざわざ、あたしお菓子作り得意よ~、なんてアピールしないでしょ」


りんか 「してよ! アピール大歓迎!」


星里奈 「それにしても、本当に美味そうに焼けてるな」


    星里奈もチーズケーキに釘付けだ。


りんか 「うん、めちゃくちゃ美味しそうだよ~。それって、みんなで食べるのでショウカ?」


渚沙  「なんで敬語になるのよ? 心配しなくても、みんなの分作ってるわよ」


りんか 「やったーーーー!!」


    りんかが飛び上がって喜ぶ。渚沙は完全にりんかの胃袋をわし掴みしたみたいだ。

    にしても、チーズケーキは1つだけ。みんなの分作ったと言ってたけど、この人数で食べて足りるかな?



渚沙  『リョータ、あんたこれだけじゃ食べ足りないかも、って思ったでしょ?』


    頭の中に渚沙の声が聞こえて来た。どうやら俺にだけ話しかけてきているみたいだ。


涼太  『うっ。よくわかったな……』


渚沙  『わかるわよ。だってあんた、チーズケーキ好きじゃない』


涼太  『へえ、よく覚えてたな』


渚沙  『覚えてるに決まってるでしょ~。生まれたときからずっと一緒にいるんだから』


涼太  『そういうもんか? それならもっと作ってくれてもいいのに』


渚沙  『うん。だからね、リョータ用にもう一つ、小さいのを焼いてあるのよ』


涼太  『へ!?』


涼太  『ど、どういう風の吹き回しなんだ? なんか変なもんでも食ったのか!?』


渚沙  『失礼ね。チーズケーキあげないわよ?』


涼太  『ごめんなさいっ! それだけは勘弁してくださいっ!』


渚沙  『ふふっ。そうでしょう、そうでしょう』


渚沙  『チーズケーキを授ける神であるあたしを、崇め奉りなさいっ!』


涼太  『ははっー!』


    だいぶ調子に乗っているような気がしたが、渚沙のチーズケーキの魔力の前には些細な問題だった。

    背に腹は代えられないのだ。


渚沙  『じゃ、そんなわけであとで楽しみにしてなさい』


渚沙  『以上、通信終わり。アウト』


りんか 「あれ? リョー君、さっきから黙っちゃって、どうかした?」


    入れ替わりに、りんかに声をかけられた。


涼太  「いや、なんでもない。渚沙のチーズケーキは食べたことあるけど、美味いぞ」


りんか 「うん、本当に美味しそうだね~」


歩   「あら、渚沙さん、すっごく上手に焼けてますね」


渚沙  「う、うん……。歩姉さん、色々、ありがとう」


歩   「いえいえ。……それじゃあ、このチーズケーキはしばらく冷ましておきましょうか」


渚沙  「あ、大丈夫。置き場も確保してあるから、こっちでやるわ」


    渚沙はそう言って、プレートを持って台所へ引っ込んでいった。


歩   「食後のデザートがあるなら、今日のお昼は控えめにしておきますね」


歩   「ふふ、そうだ。チーズケーキを食べるときは、とっておきの紅茶も淹れてあげましょうか」


りんか 「わーい!!」


    歩さんのお昼を食べたあと、そのままみんなで渚沙のチーズケーキに舌鼓。

    歩さんが出してくれた紅茶も美味しくて、本当に言うことなしのひと時だった。

    今日も家の用事があるという歩さんは少し前に席を立ってしまったが、俺たち五人はそのまま居間でゆっくりしていた。


りんか 「そういえば、今日はみんなはお休みなんだよね?」


    りんかが、そんなことを思い出したように言った。


星里奈 「ああ、補習も毎日あるというわけじゃないからな」


陽鞠  「ふぃ~。ようやく、本当の夏休みってなんじですねぇ」


涼太  「おいこら。おまえは補習の序盤、サボってるだろうが」




陽鞠  「まあまあ、お兄さん。この最後のチーズケーキのひとカケラでも食べて、落ち着いてください」


涼太  「それはゆっくり食べようと思って俺が取っといたやつだ!」


    まるで自分のを譲ってやる、みたいな言い草だけど、最初から俺のだよ!


りんか 「あはは。まあ、ひまちゃんとリョー君のショートコントはともかく……みんなはこのあと、時間があるんだよね?」


りんか 「それならさ、一緒に遊びに行かない? 昔みたいにみんなで遊んでれば、なにか思い出すかも!」


星里奈 「……なるほど。それは一理あるな」


涼太  「昔みたいに遊ぶって、あの秘密基地か?」


    どうやら俺たちは子供の頃、いつもあの基地で遊んでいた……ようだ。


りんか 「うん、あそこ」


    思い出の場所でみんなで過ごせば、俺たちは昔のことをなにか思い出すだろうか?

    もしかしたら、そうかもしれない。それなら……。


涼太  「……あ!」


りんか 「え、どうしたの?」


涼太  「ゴメン、やっぱダメだ」


りんか 「え……?」


涼太  「俺、生徒会の仕事で学園に行かないといけないんだった」


りんか 「あ、そうなんだ? それじゃあしょうがないね」


涼太  「悪い。思い出巡りはまた今度な」


りんか 「うん、わかった。残念だけどまた今度にしよっか」


涼太  「俺は行けないけど、みんなで行ってきたらどうだ?みんなどうせ暇だろ?」


星里奈 「どうせとはひどい言い草だな。……まあ、りんが行きたいのなら、一緒に行くのはやぶさかではないが」


陽鞠  「陽鞠も暇ですよ」


りんか 「なぎはどう?」


渚沙  「ゴメン、あたしもダメ」


陽鞠  「なぎ姉に予定なんて珍しいですね?」


渚沙  「陽鞠も、あたしに結構辛辣よね……?」


星里奈 「だが珍しいのも事実だろう。なんの予定なんだ?」


渚沙  「うん、まあ、その……。リョータの手伝いする約束、しちゃったから」


涼太  「へ!?」


星里奈 「ほう」


陽鞠  「ほぇ?」


りんか 「!?」


渚沙  「だから、ゴメン。……行くなら三人で行ってきて」


りんか 「そ、そっか、残念。じゃあ今度にする?」




星里奈 「ふむ。まあ三人でもいいのではないか? もしかしたら記憶が戻るかもしれないのだから」


陽鞠  「陽鞠もいいですよ。もう一度ちゃんと、秘密基地を見てみたいです」


りんか 「そっか。じゃあ三人で行ってみようか?」


陽鞠  「はい、そうしましょう~」


    そう言って、星里奈、陽鞠、りんかの三人はいそいそと居間を出ていってしまった。

    ぽつんと、居間には俺と渚沙だけが残された。


涼太  「約束……したっけ……?」


渚沙  「さっき“ひみつでんわ”で、した……じゃない……」


涼太  「そ、そっか……」


    さっき、というのはチーズケーキをご馳走してくれる、というやつのことだろう。

    そのためにわざわざりんかの誘いを断ってまで、俺の手伝いをしてくれるっていうことか?

    ……渚沙が? なんで??


渚沙  「別にそんな、固まらなくてもいいじゃない」


涼太  「あ、ああ……」


渚沙  「ついでに仕事も手伝ってあげるから。行くんでしょ? 学校」


涼太  「お、おう」


    渚沙に促されて、ようやく俺も動き出す。

    しかし、今日はなんでこんなにも、渚沙の顔を見るのが恥ずかしいんだろうか……。

    (to be continued…)