図書室には今日も誰もいなかった。
涼太 「ここはいつも、すいてるな」
存在が意味を成してるのかどうか心配になるぐらいだ。
渚沙 「……夏休みの補習終わりだもの」
渚沙 「こんな時間にわざわざ図書室に来ようっていう物好き、めったにいないわよ」
涼太 「俺たちは、そのめったにいない物好きってわけか」
渚沙 「……そ、そういうこと」
しかし、渚沙は手になにも持っていなかった。今日はラノベを読むんじゃないんだろうか?
……いや、そもそもなにか大事な話があるって言ってたな。
涼太 「本、読まないのか?」
渚沙 「う、うん……。今日は、いい、かな……」
渚沙の言葉は歯切れが悪い。
渚沙 「……きょ、今日は、さすがにりんかは来ないわよね?」
涼太 「りんか? 朝、今日はまた山の方を見に行ってみるとか言ってたかな?」
山の方に行ったのなら、学園に来てる時間はないだろう。
涼太 「……りんかと言えば、昨日は驚いたな」
なぜかカチコチになっている渚沙の緊張をほぐすために、軽い雑談を投げてみる。
渚沙 「う、うん。そうね……」
しかし、渚沙の反応は芳しくない。
というか、やっぱり顔が赤くないか?
涼太 「おい、大丈夫か……? なんか顔赤い気がするし、フラフラしてないか?」
渚沙 「そ、そうね……はあ」
完全に上の空。……まったく大丈夫じゃなさそうだった。
涼太 「おまえ、具合悪いだろ。……今日はさっさと帰るぞ」
渚沙 「ま、まって……!」
渚沙は思いの外強い力で俺の腕を掴んだ。
涼太 「どうしたんだ? なんか様子が変だぞ?」
渚沙 「う、うん……。その話をする前にね、またお願いがあるんだけど、いい……かな?」
涼太 「また、って……?」
渚沙 「この間みたいに……あたしに“こころえのぐ”を、かけてほしいの……」
涼太 「それって……」
前回はまだ、その後になにが起こるのかわからなかったけど――
あれは、渚沙が告白する勇気を得るために使った“こころえのぐ”だったわけで……。
渚沙 「ダ、ダメ……?」
なんだか、もじもじしながら俺を見る渚沙。
その目が濡れたように光って、ドキッとしてしまった。
涼太 「ダメ、ではないけど……」
渚沙 「そ、それなら……お願い」
渚沙は今、あのときと同じくらい緊張している、ということだろうか。
そう言えば、この間思い出した記憶では、俺が名付けたばかりの“こころえのぐ”を渚沙に使っていた。
勇気の魔法……。ああやって“こころえのぐ”を使い始めたのは、俺の方だったんだな。
渚沙 「…………お願い、リョータ。あたしに、もう一度勇気をちょうだい?」
涼太 「わ、わかった……」
俺がそう言うと、渚沙は心底ホッとしたように長い息を吐き出し、少しだけ微笑んだ。
涼太 「じゃ、じゃあ……かける、ぞ?」
渚沙 「お、お願い……します……」
涼太 「……“こころえのぐ”」
あのときと同じように、温かな赤をイメージしながら、人差し指を振るった。
渚沙 「……あっ」
渚沙 「……やっぱりあたし、これ……好きだな」
涼太 「ただ、昔の俺からやり出したことではあるんだけど……これ、あんまりやるとクセになって、よくないんじゃないか?」
渚沙 「大丈夫、大丈夫」
渚沙 「あたしがリョータを受け入れてるって……ことだもん」
涼太 「いや、そういう問題じゃなくてだな……」
渚沙 「い、いいから! そんなことは、今はいいの!」
渚沙 「あ、あのさ……リョータは、あたしのこと……す、好き?」
涼太 「へ? な、なんだよ急に……」
渚沙 「だ、だって……あ、あたしたち、付き合ってるでしょ?」
涼太 「な、なにを今さら。……うん、付き合ってぞ」
渚沙 「う、うん……でもさ、付き合ってる男女がするようなこと……まだ、してないじゃない?」
涼太 「つ、付き合ってる男女が、するようなこと……?」
思わず復唱してしまった。それで、その言葉が持つ淫靡な響きに気が付く。
ハッとして渚沙を見つめ返すと、渚沙はまだ潤んだ瞳でこちらを見ていた。
渚沙 『そ、その……ね?』
渚沙 『……あたしは、リョータが好き』
渚沙は、口で言うのが照れ臭いのか、“ひみつでんわ”で自分の気持ちをささやいた。
だけど、脳内に直接響くその声は、より官能的で……ゾクゾクした。
涼太 「……俺も、渚沙が好きだぞ」
今なら、躊躇いなく言える。本当は……もっとちゃんと、俺から伝えるべきだったのだ。
渚沙 「う、うん……だから、さ」
渚沙が一歩、俺に近づいた。
渚沙 『あ、あたしとじゃ……その、嫌かな?』
渚沙から、俺も目を逸らすことができない。
涼太 「嫌なんて……あるわけないだろ。俺たちは、付き合ってるんだから……」
鼓動がうるさいぐらいに聞こえていた。心臓が耳元まできてしまったみたいだ。
渚沙 『だったら……いい、よね……?』
渚沙がなにを望んでいるのかはわかった。
図書室には相変わらず誰もいない。……補習の終わったみんなも帰っただろう。
……きっと、今日はもう、誰も来ない。
涼太 「ほ、本当に……いいのか?」
俺の問いかけに、渚沙は緊張した面持ちで頷く。
渚沙 「もちろん、いいよ……。リョータなら……」
渚沙 「ただ……する前に、キス……してほしい、かな」
涼太 「渚沙とキス……。俺も、したい……」
視線を合わせると、渚沙の濡れた瞳の奥が、切なげに揺れたような気がした。
そのまま、吸い寄せられるように俺は渚沙の顔に自分の顔を近づけていった。
ふっと渚沙が目を閉じた。唇からもう目が離せない。
渚沙 「んっ」
俺たちは唇と唇が触れるだけの、つたないキスをした。
渚沙 「ちゅ……えへへ。ファーストキス」
涼太 「っ……。お、俺も……」
渚沙 「そ、そなんだ。……う、嬉しい」
涼太 「お、俺も……嬉しい」
ファーストキスに、味なんてしなかった。
ただ、鼻腔一杯に、渚沙の香りが広がって……ひたすらに、たまらなかった。
渚沙 「で、でも……これで満足しちゃダメよ……?」
涼太 「今更渚沙がダメって言っても、俺が我慢できないって……」
渚沙 「あ……」
渚沙を後ろから抱きしめようとすると、少し困惑したような声を漏らした。
涼太 「あ、ええと。ダメ、だったか……?」
渚沙 「ん、と……あのね……」
渚沙は少し言葉を躊躇わせたかと思うと――
渚沙 『あたしから……リョータにしてあげようと思ってたの』
頭の中に少し不満げな渚沙の声が響いてきた。
そんなことを頭の中でささやかれたら、もう本当に止まれなくなる。
渚沙 「あっ、こらっ。きゃっ」
(to be continued…)